門司港にやってきました。木製の屋根。古いスピーカー。
鉄道オタクの長男、次男と久々に九州鉄道記念館に。
大宮や京都、名古屋に比べて規模は小さいながらものんびり見られるのが良いところ。
さて、この頃未来の街に必要な機能を様々な人とディスカッションするのですが、かなり傾向が出ます。
年輩の方と議論すると、「日本の技術」「最先端」「便利・効率的」みたいな話が多くなります。
同年代(アラフォー)と話をすると、「居場所」「時間をのんびり過ごせる」「お金を払わなくてもゆっくりくつろげる空間」みたいな、どちらかというとゆっくりモード。
若手と話をすると、「SNSのみんなの意見の見える化」「みんなで作る何か」みたいな話ももらいます。
国威発揚を声高に叫ぶご年配の方々に対して、同年代は必要性を感じていないし、若手はそもそも興味なし。
知的生産活動は、これから人間からAIに置き換えられていく。
AIの分野はアメリカと中国の独壇場で、日本なんて最後尾に近い。
個人的には「海外に誇れるような現代の日本の技術なんて、もう殆ど残っていないよ…」という印象。
どちらかというと「レトロ技術ミュージアム」とかなら出来ると思うけど…。
これからの都市に求められているのは、でかいオフィスビルとか、巨大ショッピングモールとかよりも、地域がきちんと連携し、コンセプトをしっかり共有できていて、人々に居場所とのんびりとした時間を過ごせる空間を提供できること。
SNSも含め、みんなの街へのコメントが共有され、街の運営にフィードバックされる仕組みも重要。
マッシブな技術促進や重商主義的な街の作り込みは、もういらないのではないかと。
地権者の人からは「バキバキな街」という表現があった。
オフィスビルと巨大な商業施設、インキュベーションゾーンに劇場、高級ホテル。
どこにでもある、コテコテの再開発のことを「バキバキな」と表現されていた。
今どきあんなのもう要らないんじゃないかな?
とのことです。
ここに来て金払え!というコンセプトの街ではなく、ここに来てゆっくりしていってなぁ。というコンセプトのまちづくりのほうが、みんなに求められているのではないか。とのことです。
地権者の意見なので、如何にも金にならなさそうな、マネタイズの難しい意見ではありますが、将来を考えると的を射ているとは思う。
これからの街に、あまり大きなものも、効率性だけの時短なもの、資本主義丸出しのものはもはや要らない…。
人間はむしろ、時間の使い道に悩むようになる。
人々がゆっくりと時間を過ごせる空間づくり。
こっちのほうがずっと大切だと思う。
門司港駅に来て、海を見ながらゆっくりと時間を過ごしてみて、世の中は一周廻って、結局、博多駅よりもこっちの方を欲しているのでは?
と思ったりもする。