ダブルインカム トリプルキッズ blog

夫婦共働きの子育てを実践しながら、パパ育児の苦労と楽しさをご紹介します。

437.子供の頃の夢、現在の夢

今週のお題「おとなになったら」

 

保育園~小学校 : 夢はサッカー選手!

 

4歳でサッカーを始めた私は、小学生まではそこそこチームの中心選手だったと思っていました。

 

そのため、将来の夢は4歳から小学校の間は「サッカー選手」。

 

Jリーグの開幕を目の当たりにし、ジーコハットトリックに衝撃を受け、サッカー選手に憧れました。

 

その時、象徴的に演出されていたキングカズが未だに現役で、しかもポルトガルで頑張っていることに感服します。

 

 

 

中学校 : 夢は・・・サッカー選手? 騎手? 馬主?

 

中学生の夢は・・・。「サッカー選手」であったようにも思いますが、中学校ですでに補欠選手となった自分は、現実的には何になろうか、あまり夢がなかったようにも思います。

 

ただ、この頃からはまったのが「ダービースタリオン」であり「競馬」。

 

サラブレッドの血統学にドはまりして、次第に将来の夢を「騎手」「馬主」へと変えていきました。

 

中学校3年生で、高校受験を控え、とりあえず白老の騎手学校を調べてみましたが、情報では一般入試で身長が140cm以上だと、その時点で落とされる。という話も。

 

当時142cmまで身長が伸びてしまった私は、この時ばかりは身長が高くなったことを嘆きました。

 

いつもはサッカー部で身長が低いことを嘆いていたのに。

 

 

 

高校 : 夢は金持ち(馬主になりたい)

 

高校生なり、3年生の夏まではサッカー漬け。インターハイの県大会でチームが負けるまで、ずっとベンチを温める補欠選手。

 

高校2年生の夏に、サッカー部の監督の制止を振り切り北海道へ1カ月自転車旅行。

 

馬産地の牧場をめぐり、大自然の中を自転車で駆け抜け、テントで寝る。最高の思い出になりました。

 

その後サッカー部では、最後の大会が終わるまで、練習は3軍チーム、試合の時だけ1軍のベンチ(練習はさせないけど、主力が怪我した時の代替要員としてベンチには置いておく)。

 

インターハイ予選では、自分以外の3年生は全員、勝ち試合で思いで出場をさせてもらえたけれど、私だけは試合に出してもらえず。

 

北海道の最高の思い出と引き換えに、サッカー部では監督の強烈な仕打ちを受けました。

 

これも、なかなかな思い出です。

 

そんな高校生の時の夢は「金持ち」。

 

「馬主」になりたいという夢をかなえるためには「金」が要る。

 

夢をかなえるには「金」だ・・・。と。

 

 

 

大学 : 夢は研究者

 

大学に入ると、「競馬場でバイトができるぞ!」という誘い文句にのって、サッカー部ではなく馬術部に入部。

 

留年して、大学院にも行って、合計7年間、馬術部で馬に関する知識を増やしました。

 

三冠馬ディープインパクト菊花賞前の曳き馬を、普通の人は入れないスタッフオンリーのエリアでしっかり見ることができたのは、競馬好きには自慢できる思い出かと思います。

 

そのまま乗馬クラブスタッフとして就職しちゃおうかな?と、少し思いましたが、オリンピックライダーだった方に「趣味を仕事にすると、好きだったはずの乗馬が嫌いになってしまったりもする。せっかく大学まで行ったんだから、しっかり就職しなさい。」と言われて、乗馬クラブスタッフの道も断念。

 

大学に入っての現実的な夢は「研究者」でした。

 

4回生で研究室に入ってからは、この世界でもそこそこイケるな。という自信も芽生えていました。

 

問題は2つ。

 

研究者になるには、自分が苦手な英語をどうしてもマスターしなければならないという大きな壁。

 

そして、研究者は薄給なので、この道に進むと「馬主になる」という中学生からの夢をあきらめないといけない。

 

結局、博士課程をめざしていた修士1年生の夏から一転、翌春には就職活動をして、一般企業に就職・・・。

 

 

 

現在 : 夢は4人の子供達が楽しく生きられる世の中を作ること

 

今ではデベロッパーの開発担当として、普通のサラリーマン。

 

馬主にはなれないけど、一口馬主くらいなら出来るかな?というくらいの給料をもらいながら、馬の替わりに子供を4人養って、楽しく生きています。

 

今まで誰もやったことの無いスキームを作って、社会インフラをもう少し良くすることに時間を使っています。

 

お隣の中国ならこんな苦労せずに、一瞬で出来上がるんだろうな・・・と思う橋。

 

多種多様な関係者の思いを載せて、どこなら合意点を見つけられるか日々四苦八苦。

 

橋を開通させられた暁には、自分の中にはプロジェクトXのテーマ曲が流れるでしょう。

 

小学生の頃の自分は、30年後の今の自分を見てどう思うだろうか・・・。

 

 

以上