ダブルインカム トリプルキッズ blog

夫婦共働きの子育てを実践しながら、パパ育児の苦労と楽しさをご紹介します。

254.馬術!   「今週のお題:好きなスポーツ」

今週のお題「好きなスポーツ」

 

好きなスポーツは?というお題がありましたので、先日の自分の中でのモヤモヤも含めて記述したいと思います。

 

私は小学生の時にスーパーファミコンの『ダービースタリオン』にはまり、中学、高校は競馬(血統)の世界にどっぷりとつかりました。

 

4歳から高校3年生のインターハイ県予選まで、サッカーに明け暮れていたので、大学でもサッカーを・・・と思っていましたが、「馬術部に入れば競馬場でバイトができるぞ(というか馬の餌代を稼ぐために、バイトに行かされる・・・)!」という落し文句に惹かれ馬術の世界に足を踏み入れました。

 

大学~大学院の7年間(馬術部に入り浸りすぎて1年留年)で、合計2500鞍程度騎乗し(100鞍騎乗すると初心者から初級者へ、1000鞍騎乗すると初級者から中級者へ、などと言われます)、社会人になっても馬術の世界で生きていくのもいいな・・・。と、思ったりもしました。

 

それくらい馬術は楽しかったです。

 

障害飛越もやりましたが、最終的には馬場馬術の方が好きになりました。

 

馬場馬術は、決められたコース、決められた演技項目をどれだけ正確に、美しく、人馬一体となって行えるかが問われます。

 

また採点方式なので、審判員の癖もあり、ある審判員からは高い評価がもらえるのに、別の審判員からは低い評価・・・みたいなこともおきます。(通常は審判3名の平均評価)

 

それはそれで、一律には決まらない理不尽さと人間味のある味わい深い競技であると(今では)感じています。

(選手の時は、低い評価をした審判に腹を立てたこともありましたが・・・)

 

私が最後に踏みたかった競技は(踏んではみたものの、50%にはまったく届かない演技しかできなかった)セントジョージ賞典でした。

 

 

 

ちなみに、障害飛越は落としたバーの本数と、タイムでの減点方式ですので、勝ち負けが誰の目にも明確です。

 

これはこれでスッキリしていて分かりやすいです。

 

バーに馬の爪があたった音がしたとき、「落ちたかな・・・」と思う余裕が出れば、その高さは人馬にとって余裕、「馬が飛んでくれた!」と飛越できたことに喜びを感じているうちは、その高さはその人馬にとってチャレンジだった、と、同じ高さであったとしてもコンビを組む馬との信頼関係によって、いろいろな心境になります。

 

 

 

また、大学ではJRAから引退したサラブレットを貰い受け、乗馬として調教していく過程にも携わりました。

 

お金のある私立大学は、1頭数百万円の中半血種を購入してきたりしますが、貧乏な母校の馬術部は軽種のサラブレットを乗馬に調教していくという地道な訓練をしていました。

 

大会では私立大学が全体を圧倒。騎乗者も幼少期から馬術を始めたエリート、馬も乗馬専用の中半血種、こちらは、大学から始めた素人が、大学で調教したサラブレットに乗って戦うわけですから、ある程度結果は見えています。

 

それでも、たまに私立大学の競技者に勝てると嬉しかった。自分で育てた馬に、自分でまたがり、試合で結果を出す。

 

自分だけが腕を磨けば勝てる競技でもないので、『育てる喜び』という現在の育児につながる学びがありました。

 

ちなみに馬の知能は3歳児レベルと言われます。本当かなぁ・・・。

 

2歳の次男の方が、すでに知能が高いようにも思いますが・・・。

 

 

 

 

 

さて最後に、今回、この話題を取り上げたのはこんな記事が出ていたからです。

 

jp.reuters.com

 

 

個人的な意見としては、動物と大きくとらえても、『自然環境に生きる動物』と『家畜として生きる動物』は、やはり分けて考えるべきだと思います。

 

そうでないと、生まれた瞬間にオスならばミキサーですりつぶされる採卵用のニワトリや、生まれてからと殺されるまで暗闇で生きるブロイラー、その他、食肉用の豚や牛など我々の食料用の動物の命が、倫理的に整理できなくなります。

 

家畜には、一般人が一番慣れ親しんでいる愛護動物(ペット)というジャンルもあります。

 

愛護動物の生き方が、生物として本当に幸せか?という点もありますが、人間と仲良く暮らす愛護動物として生まれたからには、人間がストレスのない環境で保護する養育義務があると思っています。ここに、動物愛護団体が目を光らせるのは良く分かります。

 

また家畜には、蒸気機関が発達するまでの数千年に渡り、我々の動力源として、また移動手段として働いていくれていた、馬、牛、ラクダなどの使役動物がいます。

 

使役動物は体が大きく、蹴り飛ばされたり踏みつけられたりすると死亡事故にもつながるため、『自然環境に生きる動物』としては自由に生きてもらえればいいのですが、『人間とともに生きる使役動物(家畜)』としては、人間と暮らすルールを徹底的に教え込まなければいけません。

 

また、馬で言えば1カ月の飼料代、飼育員代、獣医代などもあり、月間10~15万円前後の維持管理コストは必ずかかります。

 

馬は、ただ『かわいい』というだけでは飼えない動物です。

 

なにか働いてもらわなければ、家畜としては生き延びさせてあげられません。

 

競馬場で走るか、乗馬として人を乗せるか、犂を引くか、なにか人間の欲望を叶えるか、人間の替わりとなって働くかしないと、あとは、ドッグフードの材料として引き渡される運命が待っています。

 

それじゃあ、そういった維持管理コストを必要とする大型動物は生産するなよ!と言われるのかもしれませんが、それにも様々な意見があると思います。

 

自然界を生きる大型動物は食物連鎖の頂点にあります。

 

大型動物が生きれる自然環境を守ることは、中型、小型動物にも住みやすい環境を守ることになります。

 

大型動物が繫栄できる自然環境を守ることはSDGsの観点からも大変重要だと考えています。

 

しかし『大型動物が生きれる自然環境をみんなで残そう!』という取り組みは、大型動物への親近感無くしてはありえません。

 

マザーテレサの言葉で「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。

 

自分の身の回りに存在せず、大型動物と触れ合った経験のない人間に、『自然界に生きる大型動物が絶滅しそうだから自然環境を一緒に守ろう!』と話しても、それこそ「あまり興味がない・・・」という一言で終わってしまうでしょう。

 

人は体験価値から学びます。

 

乗馬を通じて馬と触れ合うことは、大型動物への関心を生みます。愛着が生まれます。

 

五輪の馬術競技を残すか残さないかにはあまり興味はないのですが、『馬術競技』という人間の育んできた文化は残していくべきだと思っています。

 

以上