少数派の横暴
という本を読んでいます。
とても勉強になる。
民主主義は3つのグループに分けられる。とのこと。
①民主主義に対して忠誠を誓っている者(民主主義を維持するためのルールを徹底して守る者)
②民主主義に対して準忠誠の者(民主主義の枠組みは利用しつつ、選挙で勝つためには非民主主義的行動も辞さない者)
ここで、問題になるのは民主主義の本質が揺らいだ際に、②準忠誠の者が事態を悪化させること。
政治家は選挙で勝たなければ只の人。
選挙で勝つために利益となる(大衆の心理に沿う行動、発言をする)事は重要。
もし、大衆が扇動者に煽られて非民主主義的な国家運営を支持していたら…。
この民主主義の問題はナチスドイツ、大政翼賛会、他、世界には山程事例がある。
②の準忠誠を誓っている者は、大衆に流され、利があれば非民主主義行動に目を瞑る。
そのとき、①の忠誠を誓う民主主義者は、党の要職から落とされる(票につながらない発言や行動をするので党の中で疎まれる)、選挙で負ける(大衆の支持を得られない)、下手をすれば投獄される。
結局、扇動者が現れ、大衆が流されれば、②の準忠誠者がひっくり返り、①忠誠者が政治の現場から居なくなり、民主主義が潰える。
この時点の大衆は、より過激な、より暴力的な発言を求める。
形だけとなった民主主義の立候補者は、より過激な発言、暴力的な政策をまくしたてるようなる。
こういうことだ。とまとめてくれています。
アメリカの共和党は、完全にこの状態で、残る民主党が踏ん張る他なし。と言うのが本書のまとめですが、そう考えていることそのものが現在のアメリカの多数派からは『エリート主義者』のレッテルを貼られる。
そもそも原始的な民主主義はエリート間の投票しか想定されていない。
ギリシアで生まれてから19世紀までは少なくともそうだった。
20世紀に誕生した成人全員による選挙、という形態は21世紀にどのような発展、もしくは崩壊を招くのか。
汎用AIによる聖人独裁の社会運営はあり得るか。
これからの50年、どのイデオロギーが残るのか楽しみではある。
人間の集合知を超える知能(汎用AI)が政治を行い、人間を導く。
2100年はそういう社会(国家の意思決定)になっているのではないかと。
参考までに、その国を運営するその国の政府AIには、過去のその国の歴史、議論、意思決定がすべて勉強させられるはずだから、教師データを作るという意味で、現在の政治の意思決定も重要な役割を果たしている。
はたしてSNSで煽り続ける扇動者に日本の大衆はどう反応するか。