現在はAIが一気に伸びていますが、テスラが研究開発しているオプティマス等が商品化されたら、ドラえもんレベルの運動能力と判断能力を備えたロボットになるかもしれません。
少なくとも2040年頃には、そういった汎用自律制御ロボットが存在していると思ったほうが良いでしょう。
そんなときに、汎用ロボットに何をしてほしいか。
一番最初にでてきそうなのは兵器として用いること。
技術の進化は戦争から始まる。
次に消防、警察、災害救助などの領域。
人が担うには危険が伴い、判断ルールがある程度明確な領域。
その先は、介護、看護、保育、サービス業(ホテルのベッドメイキング、スーパーのレジ打ち、品出し、物流、他)と続くわけだが、これはビジネスの世界。生産行程の話。
個人消費の世界ではどうなるか。
やっぱり、炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し、その他家事全般をやってもらえると助かる。
ドラえもんのように子どもの世話、教育係、その他、PTAとか町内会とかも、やってくれたらそりゃ楽かもしれない。
でも…。
やはりそこには大きな課題が横たわる、
1つ目の問題はプライバシー。
ペッパーのときもそうでしたが、家の中に動き回るカメラとマイクが入るのを人は「良し」とできるか。という問題。
家の中に監視カメラと盗聴器がいつでも動き回っていて、そのデータはクラウド管理、ロボット提供メーカーは使い放題の状況になっているとしたら、それは何か怖くないか?と。
これを防ぐには、せめてデータはロボット側に保存されていて、システムのみクラウド接続。ということだとは思いますが、ハッキングされたら?という恐怖も。
パソコンやスマホでも状況は同じことなのですが、自分が保存したいと思った写真や文章だけが保存されるものと、四六時中の家の様子が保存されるものとでは怖さが大きく異なる。
2つ目の問題は、人間の存在意義。
子育ても、家の周りのことも、近所との人付き合いも、全部ロボット任せにしたとき、人は逆に孤独に苛まれるのではないかと。
これはスマートシティを検討するうえでいつも悩むポイントですが、人は自由に、そして煩わしい雑用なく生きたい。
しかし、人は自由になりすぎると迷うし、時間かありすぎると悩む。
自分はなんのために生きているのか?と。
人間は「自分はタスクに囲まれていて日々忙しい。とっても頑張って生きている」という自己満足を得たい生き物です。
本当に「身の回りのことを全部やってくれるロボット」は人を幸せにするのか?どうなのか。
オプティマスのような汎用自律制御ロボットは、ある程度の労働代行のほかは、お友達でありメンターとなる存在として求められるのではないだろうか。と思っています。
そういう意味で、「ドラえもん」が定義するロボットと人間との関係、距離感は非常によくできている。
ドラえもんの蓄積したデータが、外部に流出する、悪用されるといった可能性を排除できれば…。
ドラえもん級のロボットは、22世紀には確実にうろちょろしていると思います。