とうとう庶民の街、自由が丘にも再開発の波が押し寄せました。
ゼネコンとデベロッパーは「ようやくここまできた!」という思いでいると思いますが、自由が丘の街の魅力は激減します。
大変残念です。
駅前に大街区(スーパーブロック)があることは、どの街でも当たり前になってしまいました。
新聞記事では「近隣の武蔵小杉や二子玉川などに比べて再開発が遅れて街のブランド価値が下がった」とありますが、全く逆です。
逆に、唯一無二の魅力が増したのです。
武蔵小山にしても日暮里にしても、昔の駅前商店街の区割りを崩して、大型の下駄履き商業とマンションにした結果どうなったか。
駅前の土地の地権者とデベロッパー、ゼネコンは一時的に利益を手にして土地を去りますが、残されるのは唯のチェーン店が入居するどこにでもある商業施設とマンションだけ。
街のコミュニティと、持続性は失われます。
その一瞬は利益を期待できますが、30年後の街の価値は損ないます。
こういった駅前開発で効果を期待できるのは、大崎や武蔵小杉などの工場跡地くらいです。
駅前のスーパーブロックを、どうやれば自由が丘のような、「ひとが迷いながら歩き、何度来ても新しい路地、新しい店を発見できる喜びを味わえる街に出来るか」「個人オーナーが次々と出店する、新陳代謝のある街を作れるか」こういったことに悩んでいる者にとって、その自由が丘の駅前が、自分たちの価値に気づかず、どこにでもある失敗事例だらけの凡庸な再開発を行おうとしていることに愕然とします。
一度失った商業路地空間は二度と復元できません。
確かに路地が狭く、入り組んでいて、木造も多く、防災という観点では課題がありました。
しかし、その空間こそ商業の圧倒的な勝ち(価値)パターンであり、現法律下に置いては二度と作れない町並みなのです。
私は都市防災の研究をしていましたので、日暮里駅前の木密の市場を再開発して、タワーマンションと下駄履き商業にした事例こそ正解だと習いました。
しかし、日暮里駅前の再開発後の15年を見て、多分これは間違いだな。と思うようになりました。
濃密だった人の繋がりが霧散し、消失してしまいました。
あれだけ活気あった市場の権利床(再開発後の建物区画)は、現在では寂しい空きスペースが目立ちます。
「どこにでもあるつまらない施設」であるため、日用品使い以外のニーズは出てきません。
こうなるくらいなら、たとえ木造密集状態でも、人の繋がりが濃密だった以前の商店街エリアだった方が、災害に対するレジリエンスが高かったのではないかと。
街に住む人たちが、どこに自分たちの街の魅力があるかを認識していない。
本当に悲しく思います。
以上