子育ての大誤解
~重要なのは親じゃない~
ジュディス・リッチ・ハリス
さあ、過激なタイトルですね。
子育ての大誤解。重要なのは親じゃない。
9歳、6歳、2歳の3児を抱える父としては、大変興味をそそられるタイトルです。
著者は、2人の娘を育てた女性で、ハーバード大学の心理学の修士卒。ドクター論文は審査落ちしたという経歴の持ち主です。
おばあちゃんとなった時に、それまでの経験と、自分で構築した心理学の新理論でもってこの本を書いています。
なぜこの本のタイトルとなったのか。
それは、著者がプロローグにもエピローグにも書いていますが、思春期の子供たちが悪さをすると必ず「母親の教育がなっていないせいだ」「家庭のしつけがなっていないせいだ」と矢面に立たされるのはいつも女性(約20年前までのアメリカの状況で著者は表現)。
でも、実際に子育てをして、思春期を迎えた子供を持つと、「親の言うことなんて全く聞きやしない。それにもかかわらず、なぜ親のせいにされるのか?」と腹立たしく思ったとのことです。
著者は、思春期の子供を持って悩んでいる親に対して、「あまり悩まなくていいよ。思春期の子供に対して親がどうこうできることなんてほとんどないんだから。」というメッセージを伝えるとともに、思春期の子供の行動に対する親の責任を問う社会(特に男性)に対して、「その責任を母親だけに問うことは間違っている!」と痛烈に批判しているものになります。
さて、本のタイトルに立ち返って、子供に対して親ができることは何もないのでしょうか?
それは違っていて、子供の能力も性格も生まれた時に4~9割程度は決まってしまっています。
(項目によって違います。音楽や数学、体育は遺伝要素が強く9割程度が遺伝要因、外国語は遺伝要素が弱く5割程度など。また、記憶知識分野は6割程度、問題行動は5~6割程度が遺伝要素だという研究結果が出ています。)
両親が陸上短距離選手の場合、子供も短距離走が早くなるというのはみんなが納得するところだと思います(無酸素運動は遺伝要素がかなり高い)。
身体能力が遺伝するのに、学習能力やコミュニケーション能力が遺伝しないという発想は、どう考えても成り立たない。
この辺は一卵性双生児と二卵性双生児の対照観察を行っている『日本人の9割が知らない遺伝の真実』を読んでいただければ良く分かります。この本もおすすめです。
まずは皆さん安心してください。
親はとても重要です。
著者も、その点を大きく取り扱っています。
遺伝特性を認めず、すべては後天的な家庭営内影響によって子供は良くも悪くも育つものだという定義しがちな心理学のムラに対して、この『家庭内影響』と『遺伝特性』を混同せず、分けて考えましょうよ。と著者は様々な事例を示しながら提案しています。
こんなデータもあります。
「専門書を多く所有している家庭で育つ子供の成績は良い」
先進国では高い相関関係が現れているものです。
ただ、これらは完全に疑似相関であることが分かっています。
専門書を多く抱えている親は、知的労働者としてかなり高いレベルで活躍していることがうかがえます。その遺伝特性によって、子供の成績が良くなる。これが本当の相関関係です。
これらは、生物学分野では周知の事実ですが、なぜか心理学分野はこれを前提にしないところから始まる。
そのため、親の遺伝特性を家庭内環境で得られた後天的な性質と捉えてしまい、教育の概念が捻じ曲げられているとのこと。
まず著者は、心理学分野のお偉いさんたちに、「そこをしっかり分けて考えようよ」と問題提起しているわけです。
次に著者は、人間の昔からの育ち方を考えた時に、体の発達と、心の発達、社会的地位がどのように移行されていったものかを、先住民族などの研究をとおして分析しています。
もし、この辺の研究に興味がある方は、ジャレド・ダイアモンドの著書をいくつか見てみてください。『昨日までの世界』を読むと、非常に興味深い人間の特性が見えてきます。
昨日までの世界の人間社会は、3歳前後まで乳児として育ちます。
殺菌されたきれいな飲み水を得ることが難しい環境下ですので、ある程度、赤ちゃんの腸内環境と免疫が整うまで(未満児の期間)、母親というフィルターを通過して安全になった母乳を飲んで水分を補給していました。
完全母乳育児ですので母親の排卵が抑制され、昨日までの世界では大よそ3~4年間隔の出産周期となることが一般的で、健康な女性は生涯に4~5人程度出産した(12歳くらいから25歳くらいまで)と言われています。
3歳前後になると、母親から引き離され(この辺の先住民族のエピソードなどもジャレド・ダイヤモンド氏の本には出てきます)、村の子供たちの集団の中で、少し目上のお兄さん、お姉さんについて遊ぶようになります。
親は、狩りや農作業、炊事等で忙しいため、子供は子供だけの世界で毎日を過ごすようになります。
6歳前後になると、大きな村では男女がグループを形成するようになるそうです。
分離できるほど大きな集団でない場合は、それ以降も男女混合の子供集団を形成し、第二次性徴を遂げるとすぐに大人の仲間入りとなる。
男性は狩りや近隣部族との戦いに、女性は出産育児に。という流れだったそうです。
この、人間にとって自然な成長過程の中から、著者は2つのポイントを指摘しています。
まず、3歳から10歳くらいまでの期間。
この期間の子供たちは、親(村)の近くで遊びつつも、親が面倒を見るのではなく、数歳年上の存在が子供たちのあこがれの存在であり、幼児を保護する存在でもあったということ。(この辺りはチンパンジーなど、ホモサピエンスの近親種でも兄弟間ではみられるとのこと)
次に、第二次成長期(思春期)以降の期間。
第二次成長期以降は、すぐに大人として扱われ、現代社会のように「子供(親の保護下)」という扱いはされてこなかったということ。
著者は、たとえ乳児期を終えた幼少期においてさえ、人間は同年代、もしくは少し年上の存在に引っ張られるものであり、親の影響よりもずっと強い影響を子供の集団から受けている。という分析を行っています。
子供の後天的な影響は、家庭(親)よりもずっと多くのものを子供の集団から得ているのだと。
そして、著者が悩んでいる親に一番説明してあげたかったこと。
それは、思春期の子供を持つ親が、社会から責任を問われる理不尽からの解放でしたが、最後にその結論をまとめてくれています。
人間は、集団で生きる動物であり、同じ集団なのか、他の集団なのかで、まったく相手の取り扱いが異なります。
同じ集団であれば協力し合い、他の集団であればかなり好戦的になる特性があります。
同じ集団に入れてもらえるのか否かがすごく大切なポイントなのです。
思春期の子供たちは、『昨日までの世界』では『大人』の集団に入れてもらえていました。
『昨日までの世界』では、『子供ではなくなった』という部族の儀式を行い、『大人』の集団への仲間入りをさせてもらえました。
しかし、現代の思春期以降の子供たちは、身体的に『子供ではなくなった』状態なのですが、法律的に、社会環境的に『子供』という扱いをされて、大人から『大人の集団』への仲間入りを拒否される状況にあります。
現代社会で『大人』とみなされるのは、少なくとも高校卒業以降でしょう。
この思春期以降、高校卒業までの期間において、『子供』という集団にも属せず、『大人』という集団にも入れてもらえない、『ティーンエイジャー』という集団が現代では出来上がってしまっている。と著者は分析しています。
もう一度述べますが、人間は同じ集団であれば助け合い、他の集団であれば好戦的になります。
『大人』という集団に入ることを拒否された『ティーンエイジャー』は、『大人』という集団と差異化することによって、自分たちの集団の結束を図るようになります。
『大人』という集団へは好戦的になり、『大人ではない』という証明のため、大人が「やめなさい」ということに、あえて挑戦するようになります。
(ちなみに『子供ではない』という証明は、身体的特徴で明らかなので、『子供』という集団にはあまり敵意を出さない傾向にあります。)
『ティーンエイジャー』は、一つの集団となったからこそ、大人(親)のアドバイスはほとんど聞かず、その集団の方向性にみんなで歩調を合わせて進んでいく。ということのようです。
そして著者は、「ティーンエイジャーは、集団の中で『みんなと一緒』という仲間意識を高めあうものなので、どんな集団に属しているかが子供の行動を決定し、親が何を教えるかによって、子供の行動が変化するものではない。」と結論付けています。
(みんながタバコを吸っている場合は、タバコを吸うことが仲間であることの証明になるし、みんなが勉強熱心な場合は、勉強熱心であることが仲間の証明になるので、子供がどんな仲間と一緒に居るかがすべてであると。)
『孟母三遷の教え』を知っている東アジアの人間としては、「そんなもの当然だろう」と思ってしまうのですが、欧米の心理学会においては、本書はセンセーショナルな作品だったようです。
最後に。
この思春期を経た人間を『大人』として迎え入れず、『ティーンエイジャー』という集団にしてしまったのは、あくまでも『大人』です。
大人が、知的産業を発展させた結果、幼少期のみの教育では専門性が足らなくなり、更なる専門性を身に着けさせるために追加の教育期間を設定したというのが『ティーンエイジャー』という集団が構成された背景ですから、すべては大人のせいなのです。
もうすぐ思春期を迎える長男に対しては、「お互いに成長をめざす仲間が多く集まる環境に入れてあげられるか」と「ティーンエイジャーの集団の中で本当に悩んだ時に、悩みを打ち明けられる大人の中に、親も入れてもらえる関係は築き続けておけるか」という2点を大切に考え、接していきたいと思っています。
この本が素晴らしかったのは、なぜ『ティーンエイジャー』は『大人』の言うことを素直に聞かないのか。そのメカニズムを解明してくれたことだと思います。
自分の思春期時代を思い返してもスッキリしたぁ。
【蛇足:遺伝の話】
私が好きな競走馬の世界では、同じ配合(父と母)にもかかわらず、兄弟で成績がまったく異なることが多々あります。
2002年に生まれたディープインパクト(無敗の3冠馬:父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア)には、他にも13頭の兄弟姉妹がいますが、同じ配合のブラックタイド(2001年生まれ)はG2までしか勝てず、オンファイア(2003年生まれ)は未勝利戦に勝利したところで終わりました。
1歳年上、1歳年下の全兄弟でも、こんなに成績が異なります。
それは、交叉という作用によるもので、両親の遺伝子は、遺伝子情報に集約される際、其々の遺伝子情報からランダムに半分が取り出されます。
そして受精すると、半分ずつになっていた遺伝子情報が組みあがり、遺伝的組み換えが完了します。
両親の『速く走るのに必要な遺伝子』のうち、良いところがたくさん選ばれた組み合わせになったのがディープインパクトで、それ以外がたくさん選ばれてしまったのがオンファイアということになります。
競走馬は、走ることでしか能力を評価されませんが、人間は多種多様な才能の発揮の仕方があります。
自分の子供たちを見ていると、3人ともまったく性格も才能も異なります。同じように育てているはずなのですが、伸びる方向がまったく違う。
交叉の作用って、こんな感じで現れるんだ・・・と、馬で勉強した遺伝の知識でもって、どこか客観的に遺伝の面白さを眺めています。
観察対象としては極めて興味深い。
【紹介図書】
以上